金魚の歴史

夏によく目にする金魚ですが、もともとは中国から輸入されてきた魚です。では、中国から入ってきた金魚が日本人に親しまれるようにになったのかを説明していきたいと思います。

歴史

名前の由来

中国において「金魚(きんぎょ)」の発音は、「金余(きんよ)」と現地の言葉の発音が非常に似ているため、縁起のいいものとされ、現在でも広く愛玩される背景の一つとなっている。お金が余るほど儲かるようにという願いをこめて店の軒先に金魚、またはその置物を置くところもわずかではあるが存在している。

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歴史

金魚は長江下流域の浙江省近辺が発祥の地とされている。金魚は南北朝時代には飼育されていたのですが、当時はあまり一般的ではありませんでした。明時代になった頃に皇帝や皇族に飼育、愛されましたが、その後は中国国内で文化大革命があった際に、存続の危機に陥ってしまいました。その後、1978年(昭和53年)8月に日中平和友好条約が調印され民間の日中交流が拡大すると、日本の金魚生産者が浙江省などに出向いて、その当時危機に陥っていた中国の金魚生産者と協力して危機を乗り切った。
日本での金魚の歴史は鎌倉時代には、存在自体は知っていましたが、金魚自体は室町時代に入ってから中国から伝来してきました。金魚が日本で一般的に世の中に広まったのは、江戸時代の話です。江戸時代に入ると、大々的に養殖が始まりましたが、その当時はまだ高級品でした。その中で、江戸時代中期になるとメダカ等と共に、庶民の楽しみの一つとして広まり、金魚売りや金魚すくいなどの販売形態も成立した。江戸時代において金魚の愛好が広まったのは、延享5年(1748年)に出版された金魚の飼育書である、安達喜之『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』が飼育熱を生んだといわれている。ただ当時は今のような飼育設備もなかったために、屋敷に池を持っているような武士・豪農・豪商でもなければ金魚を長く生かし続けることは不可能で、庶民は金魚玉と呼ばれるガラス製の球体の入れ物に金魚を入れ軒下に吊るして楽しんだり、たらいや陶器・火鉢などに水を張って飼育したみたいです。

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俳優見立夏商人 金魚売り 歌川国貞作
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金魚づくし 百物語 歌川国芳作

鑑賞法

多くの方は、金魚は横から見るのが普通であると思っていると思います。現在は、水槽のガラスなどが大量に出回っているので、横から見ることのほうが多くなってきた気がしています。しかし、最初に金魚が日本に入ってきた室町時代や、多くの人に知られるようになった江戸の中期は、金魚を運ぶ際には、ガラス製の容器を使っていましたが飼育をするほどの大きなガラス製の入れ物はあまりありませんでした。当時は、金魚を睡蓮鉢や桶などに入れて見ていました。ですので、金魚の世界では本当の見方として、上から見ることが正しい鑑賞法になっています。
※上から見ることを、「上見(うわみ)」と呼びます。

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二五五四好今様美人 金魚好 歌川豊国作
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郭中美人競 角玉屋若紫 鳥高斎栄昌作
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